
職人の技と家族の絆
昭和四十年、大阪府八尾市に誕生した小さな仏壇店——吉村佛法堂。 その歴史は、創業者・吉村晴満が父・文四郎、兄・博隆とともに奈良県天理市の工房で仏壇職人として修業した時代に遡ります。
仏壇は、単なる家具ではなく、先祖への祈りの象徴。 金仏壇や唐木仏壇に施される繊細な彫刻や精緻な意匠は、まさに職人の魂の結晶です。 兄・博隆はその卓越した技術を認められ、伝統工芸士の称号を授かりました。
一方、晴満は自由な発想と豊かな色彩感覚を生かし、仏壇に鳳凰や花々の装飾を施し、新たな命を吹き込んでいました。

やがて、年の離れた弟・忠司もこの道に加わり、漆塗りの技を習得。 こうして、吉村家の仏壇づくりは八尾の地に根付いていったのです。
ゼロからの挑戦
仏壇店の始まりは、長屋の小さな一室。 たった一本の仏壇を先輩の店から借り、お客様に見せるところからのスタートでした。

やがて国道二十五号線沿いに店を構える決断を下し、借金をして出店。 お盆とお正月以外は休むことなく、朝9時から夜9時まで店を開け続け、販売・修理・洗いの仕事に奔走しました。
特に印象的だったのは「洗いの仕事」。 店先に並べられた大きなタライで、父と母が仏壇のパーツを一つひとつ丁寧に洗う姿。 帰宅すると、真っ黒だった部品が光を浴びて輝きを取り戻し、新たな命を吹き込まれていました。

洗浄後の部品は忠司の手で漆を塗られ、さらに金箔が施され、かつての輝きを取り戻します。 こうして再生した仏壇は、再び人々の祈りの場となっていったのです。
見えない力に導かれて
晴満はこう語りました。 「先祖さんがあって、私たちがある。分家であろうと、本家と同じように感謝と供養をするのが当たり前。」 仏壇店を営む中で、多くの住職様とのご縁が生まれ、時には不思議な出来事にも遭遇しました。 その中でも特に忘れられないのが、私・はる美の体験です。
若い頃、私は酷いアトピーに悩まされていました。薬を使っても改善せず、一生付き合うしかないと諦めていました。 しかし、ある住職の勧めで四国八十八ヶ所霊場巡りに触れることになります。
そして訪れた第七十三番札所・出釈迦寺。その境内からさらに険しい山道を登ること約50分。 そこに「捨身ヶ嶽禅定」という修行場がありました。鎖を頼りに岩山を登る途中、私は耐えがたい痒みに襲われ、立ち止まりました。 その時、同行していた住職が私の背中に数珠を擦りつけながら読経を始めたのです。
すると—— それまで狂いそうなほどの痒みが、一瞬にして消え去ったのです。
それ以来、私は「見えない力の存在」を確信しました。そして、自己の治癒力を高める道を探求し、現在では薬を一切使わずにアトピーも花粉症も克服するまでになりました。
受け継がれる想い
2001年10月、晴満は脳出血で倒れ、左半身麻痺となりました。 母と妹は父の平癒を願い、「歩き遍路」を始めます。道中、多くの人々と出会い、さまざまな悩みや不思議な「助けの力」の話を耳にしました。
「この地球に、日本に、この家族の元に生まれ、生かされる意味は何か?」 晴満の言葉は今も心に響いています。
時代とともに、仏壇仏具店は次々と姿を消していきました。 それでも祖父・文四郎から受け継いだ想いを胸に、母と娘の二人で吉村佛法堂を続けています。
より多くの人々とご縁を結び、祈りの場を守るために——
このホームページを通じて、皆様とつながっていけることを願っています。