〜60年以上続く仏壇店を継ぐ二代目が感じた「修行」の本質〜
「ローラ、滝行をする」。
そんなニュースを目にしたとき、私は思わず手を止めました。
芸能人がスピリチュアルな行に挑戦するのは珍しいことではありませんが、彼女のSNSに綴られた言葉――「大自然を感じながら自分の心をキレイにしたい」――それは単なる話題作りではなく、心の奥から湧き上がる“祈り”のように感じたのです。
60年以上、地域の人々とともに歩んできた仏壇仏具店。私はその二代目として、日々「祈り」や「供養」の現場に身を置いています。
そんな立場から、ローラさんの滝行を「ひとつの修行」として受け止め、その背景や意味、そして現代を生きる私たちにとっての“浄化”とは何かを、少し語らせていただきたいと思います。
【滝行とは何か?――修行としての本質】
滝行とは、山中の滝に打たれ、身を清める修行のひとつ。
古来より、仏教や神道の修験者たちが行ってきた「身・口・意(しん・く・い)」を清める行です。
雑念や執着を手放し、ただただ滝の水に打たれながら、自身の内面と向き合う。
身体は震え、息は詰まり、五感が研ぎ澄まされていくその中で、自分という存在の“芯”に触れることがある。
それは「苦行」ではなく、「祈り」とも呼べる行いです。
【ローラさんが選んだ“滝行”という節目】
彼女は35歳の誕生日という節目の日に、あえて山奥の滝へ向かいました。
それは“華やかな祝福”とは真逆の、静かで、孤独な時間。
人は節目に、ふと立ち止まりたくなるものです。
過去をふり返り、未来を見つめ直す。
彼女がSNSで語った「心をきれいにしたい」という想いには、
「これまでの自分を見つめ直したい」「何かを手放したい」――そんな無言の気持ちが込められていたのかもしれません。
【現代における“浄化”と“整え”の意味】
私が店を継いだころ、祈りや供養は「亡き人のためにあるもの」だと思っていました。
しかし年月を経て気づいたのは、それが「生きる人のための行い」でもあるということです。
忙しさや情報にまみれ、心の中が澱んでいく現代。
私たちには「自分を整える時間」が、何より必要なのかもしれません。
滝行という形で、それを実践したローラさん。
彼女のように“心をきれいにしたい”と感じる人が増えている今、
私たちも、自分なりの「小さな滝行」を生活に取り入れるべき時なのかもしれません。
「そして思う事・・・」
ローラさんの滝行は、ただの話題づくりではなく、ひとつの「祈り」であり、「けじめ」であり、「再出発」だったと私は思います。
それは仏壇の前で手を合わせるひとと同じように、
あるいは静かに朝陽を拝むひとと同じように――
私たちが心の奥で求めている、癒しと浄化のかたちなのです。
もし、あなたの中にも何か“整えたい気持ち”があるなら。
今こそ、自分のための「滝行」を見つけてみてはいかがでしょうか。
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